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父の急逝 [Diary]

先日、父の四十九日を終えました。
やっとこさ、ここまで来たが正直なところですが、
自己満足な備忘録ですが載せておこうと思います。

非常につまらない話です。
ですが、こんなことをしてきてたと参考になるかはわかりませんが、
大変だったことを残そうと思います。

そもそも、自宅で一人で亡くなっていたために、警察介入となりました。
発見の日は警察が引き取るとなってしまい、とても無念だったのは、
父に触ることが出来なったのが本当に残念でした。もしかしたらまだ体温が少しでも....

①葬儀屋には当日連絡しましたが、とにかく火葬場が混んでいて葬儀はかなり先になると、
警察の検死→遺体引き取り→葬儀日程調整となりますが、葬儀屋も混んでいて、
最悪の場合は、遺体を自宅でみないといけないといわれ、途方にくれました。
当日は、父が亡くなった悲しさより、これからどうなるのかという不安感で涙がとまらず。
②翌日には検死結果が出て、うまく空いていたので、葬儀屋さんに遺体を引き取ってもらい、
安置することができました。しかし葬儀の日程もまったく決まらず...不安ばかりつのります。
③警察は事件性がないかどうかと調べるために、生命保険の有無や通帳のありかなど、
色んなことを聞かれました。検死が終わったら一度警察署に預けたものを取りに行き、
検死をしてくれた病院にいって死亡検案書をとりにいってくれと言われました。
その際に死亡診断書とちがい、かなりの高額になるとも...あらかじめ金額は教えてくれました。
警察署→検死を行った病院で死亡検案書→その足で区役所にむかいました。
区役所では死亡届をかきました。職員の方が一行ずつ書いてるのを待ってくれるのは泣きそうで、
しかし、死亡してから7日以内なので発見までかかったら、時間がなく大変です。
その後、すこし死亡したあとの事を区役所できいてみたところ、年金事務所にいった方がいいと。
その日はその足で年金事務所にもいって、次回の予約をとりました。
年金事務所は必ず予約制でそこでしか話すことが出来ないみたいです。
この日の夜に葬儀屋から連絡があり、仮押さえしていた日があると知らされ葬儀日程が決まる!
この時に電話を受けたら小躍りした記憶があります。久々に喜んだ時でした。
④ようやく葬儀屋さんで見積もりをかねて打ち合わせです。
菩提寺にようやく連絡し、だいたいの葬儀のこと、49日の日程も決めることにしました。
そこで石屋さんにも連絡したのですが、まずは早く荼毘にふせたいと思っていました。
この時に亡くなったときに来ていた服を渡されたのですが、どうしても捨てることが出来ず。
⑤⓺葬儀までに日程を要するので、なんと仕事に行くことにしました。
⑦自宅をなんとか人が通れるようにするために、1階のみ大掃除しました。つかれた。
⑧やっとこさ、自分のためのお休み、長すぎる1週間でした。
⑨年金事務所に8:30から行きました。でも書類が足りず、また区役所へ。
一体、なにをいっているのか不明ですが、職員の方は懸命に今日で済む方法を呈してくれました。
ちなみに年金手続きは14日以内とかありますが、現実的に無理なんでやればいいようです。
年金の手続きはわからん事だらけだし、予約でしか話せないしやっかいですね。
この足で銀行にいき、口座の凍結をこの辺りに行いたいなど相談をしました。
⑩また合間があるので仕事にいきました。ここでようやく職場にも訃報を伝えました。
⑪掃除もしますが、喪主挨拶を考えないといけないです。少しの時間で公共料金の紙をみて、
何か所か電話をしました。多くは名義変更できますが、支払い方法をまずは変えないと!
⑫お通夜当日です。一膳飯を用意しました、米一粒のこさずお茶椀に載せました。
⑬告別式当日です。やはり出棺の瞬間はつらいですね。私のリクエストもあり、
出棺のときのBGMはアメージンググレースにしました。不思議と音楽が切り替わるときを、
感じることができました。我が家のセレモニーの曲になりました。
このときにどうしても捨てることが出来なかった着ていた服を一部お棺にいれました。
あと、みかん星人だったので葬儀屋さんに頼んでみかんも入れてもらいました。
⑭家族葬だったので翌日は自宅で弔問を受けました。知らないエピソードも聞きますね。
この時のタイミングで、本位牌を注文しました。高すぎる戒名のためにね。
⑮やはり自宅に遺骨があるので、頻繁に自宅にもどりました。時間さえあれば片付けです。
⑯公共料金の残り、かたっぱしからクレジットカードの会社に電話しました。
通帳をみながら、引き落としがあって不明なものはコールセンターにかけて聞きました。
会社によって電話で簡単に解約、書面をかかないといけない、店頭に行く必要がある等、
さまざまなんだな~~~と思いましたが、この日の電話はとんでもなく疲れました。
49日の石屋の見積もりもいただき、49日の準備もすすめないといけません。
⑲日目ぐらいに銀行の最終調整を行いました。必要な書類を聞きました。
㉓市からお手紙があり、相続人届と残りの市民税の支払い票がありました。
㉕日目ぐらいにまた区役所まわりです。税務署にもいきました。
不運としか言いようないですが、マイナーカードの申し込みの人たちとあいまって大混雑!
(怒鳴っている人も多くてうんざり、もっと自分が早くにくりゃいいだけだろ~)
予想以上に、父の生まれてからの戸籍謄本というのがネックでした。大変すぎる。
↑これに関しては生前に本人と一緒に確認しながら、発行しておく方がよいカモ。
区役所にきたので、介護保険のことや、あと葬儀費の一部援助の申し込みをしました。
たった5万円ですが、ないよりはいいですね。
㉛通帳から不明の保険をつきとめて名義変更(火災保険でした)
口座を凍結しなきゃ、通帳記入はできるから、なんの支払いをしているか要確認ですね。
1か月経ってようやく近所まわりをしました。警察沙汰になってしまったり、
おそらく近所の方にもお話がいってるだろうから、皆さま知っているようでした。
菩提寺に49日を忘れられてないか(笑)確認し、必要なものを確認しました。
㉜葬儀屋の支払いをしました。現金のみですからね。銀行窓口にいきましたが..混んでるね。
㉟49日の出欠がわかったので菩提寺に塔婆の申し込みをFAXにて行いました。
㊱49日後の香典かえしの郵送の依頼をしました。だいたいはカタログですが、
半返しだと本当に半分ぐらいなんですね~(あたりまえか)あと49日のお弁当とお土産手配。
この頃に本位牌が出来上がりました。無事に夫婦位牌にすることができました。
この頃に母の命日があり、墓標には母の隣には父の名前が、本位牌にも隣にかいてあって、
写真をみただけですが、知らずにうちに涙が出てました。ここまで長かったと。
㊴香典返しの奉書を確認し、やっぱり事務的だから間違え多い!発注完了です。
支払いはやっぱり現金であとで請求書が来るんだってさ。
㊹ようやく49日になりました。ちょうどお彼岸をぶつかるから何かカオスでした。
そして納骨もすませました。たかが納骨ですが、これで独りぼっちじゃなくって、
父が切に会いたがっていた母の隣に眠ることができました。
ホントの49日目は、今週の終わりぐらいかな?

まだまだ残っていることはあります。
携帯電話を解約しないといけないですが、これは来店予約する必要があります。
口座の凍結をして、相続の手続きも始まります。
あと請求書がくるのは(笑)、お墓の石屋さんと香典返しの支払いです。
あと見積もりがあったから、健康保険料と、介護保険料も支払いかな。
口座振替できないってわかっているんだから、さっさと支払い票くれればいいのに。

★これだけは残しておきたいこと
葬儀まで時間があったので、「エンバーミング」についてです。
エンバーミングとは、遺体の腐敗を防ぎ衛生的に保存するための技術です。
葬儀屋さんの安置所は1泊15000円なのでそれだけでもけっこうな金額はかかりますが、
それとは別途支払う技術料です。つまりだいたい遺体を保存するのに50万プラスです。
しかしながら、久々に会えたときに体は冷たかったけど、とても顔色もよく、
体もしなやかでまるで眠っているだけみたいだったんです。お金かけてよかった!と腹の底から。
とにかく迷うならば、エンバーミングは行うことを強くおすすめします。
もちろん、数日後に火葬できるならばいいけど、今はやたらに時間かかるし、
我が家も約2週間後だったので、本当にこの技術には驚くばかりました。

区役所や年金事務所、などあちこち歩いて移動したり、大変でしたね。
ちなみにマイナンバーカードがあると色々と便利でしたね。
2月はほぼ休みなく、ひたすら役所まわりでした。ちゃんと出来るのか不安だったけど、
途中、夢に父が出てきて今までそんなことしたことないくせに、
両手をにぎって「温かい!生きてる!」と言ったら私はボロボロ泣き出して、
これから頑張れるか自信がないと話すと、「がんばって」と言われた夢がありました。
いつだったか忘れたけど、日中は忙して泣かないけど、この時ばかりはひとしきり泣きましたね。

きっとこれからこんな風にふと泣きたくなる時がふえるのかなと思っております。



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